映画のページ
Kanada/Spanien 2013 90 Min. 劇映画
出演者
Jake Gyllenhaal
(Adam Bell - 大学の歴史教師, Anthony Claire - 俳優)
Isabella Rossellini
(アダムの母親)
Melanie Laurent
(Mary - アダムの恋人)
Sarah Gadon
(Helen - アンソニーの妻)
Joshua Peace (教師)
Tim Post
(クレアのアパートの玄関番)
Kedar Brown (守衛)
Darryl Dinn
(ビデオ屋の売り子)
Stephen R. Hart
Kiran Friesen
Jane Moffat
Loretta Yu
Laurie Murdoch
Alexis Uiga
見た時期:2014年3月
★ タイトル
ファンタで見ている頃は邦題を知らなかったのですが、複製された男に決まったようです。元ネタはノーベル賞を貰ったポルトガルの作家ジョゼ・サラマーゴの小説で同名。
邦題は本を読む前、映画を見る前に思い込みを起こしかねません。別に男が複製されたわけではありません。3D プリンターとも一切関係がありません(笑)。
じゃ、ってんで原題を見ても、《敵》って適しているんだろうかと、駄洒落が出そう。あまり小説や映画の内容をつかんでいるようには見えません。映画の作風はややインテリ向き、哲学を齧って内面を見るような静かな作り方です。
ネタバレになりますが、デビッド・リンチのロスト・ハイウェイと同じような話で、この種の話を扱うなら、リンチの作風の方がストレートで分かり易いです。
ロスト・ハイウェイが初公開された頃は「わけが分からない」という感想を持った人が多かったのですが、私は「元からリンチが、性格が分裂している人物をその場で『自分はこれだ』感じている人物として描いたのだから、凄く分かり易いじゃないか」と思いました。私はアンチ・リンチ人なのですが、それでもロスト・ハイウェイの描き方はフェアに見えました。同じ手法はブラッド・ピット、エドワード・ノートンの名作ファイト・クラブにも使われており、成功しています。
★ 静けさを出せる俳優、監督
複製された男はデビッド・リンチのにおいがプンプンする作品です。ギレンホールはいい役者と思い、長い目で見ていますが、こんな方向にあまり長居してもらいたくないです。ただ、監督の意図した静かなトーンをよく理解して演じていました。
ドゥニ・ヴィルヌーヴはカナダの監督。そのためか制作にカナダが加わっています。
ファンタには Polytechnique で参加しています。Polytechnique では私は絶賛とは言えないけれど、駄作ではないという評価をしています。恐ろしい乱射事件を扱いながら静けさも取り入れています。両方の作品を見てみると、この監督には人間が根源で求める静けさをシーンに織り込む力があるように思えます。
Polytechnique は実際の事件の再現で、本当は被害者の悲鳴、警察や救急のサイレンなどで恐ろしくごった返していたのではないかと思うのですが、作品ではそんな場面でもしっかり静寂も使いこなしています。画家が画面の中に何も描かない空間を織り込むのと同じで、映画監督が静寂を使いこなせるとすれば強みです。
欧州に住んでいると今でも散歩に出て森の中を静かに歩きたい人がいる反面、1分の静寂にも耐えられない人が高齢者の世代にまでいるので驚きます。私は1日のある部分は静かに過ごしたいという古い人間です。なので静寂を使いこなした作品に出会うとほっとします。
「ロスト・ハイウェイ、ファイト・クラブ風の作品なのだから、リンチのようにすっきりさせろ」と突っ込みたいところで、ストーリの組み立て方にはいちゃもんがありますが、複製された男にも Polytechnique で見せたような静かな雰囲気が有り余るほど取り入れてあり、そこは良い印象を残します。ギレンホールもそこにうまくはまっています。出ていませんが、「ギレンホールが Polytechnique に出演していた」と言われても驚かないぐらいこの監督とは合っています。
★ ネタはばらします
☆ 別々な2人
俳優として結構名を成した、ギレンホールとほとんど同じ年齢のアンソニー・クレア。もう1人はクレアと全く同じ姿の大学の歴史の教授アダム・ベル。ギレンホールが両方の役を演じます。
映画はベルの日常生活から始まるので、観客は監督の罠に最初からはまってしまいます。恐らくは原作もそういう風に書いてあるのでしょう。
物静かなベルの日常生活は規則的。大学で授業、帰宅、ちょくちょく恋人とホテルで過ごす。それだけ。ベルがある日知人に紹介された映画の中で、自分にそっくりな男が俳優として出ているのを発見。芸名はダニエル・サン・クレアといい、結構名の知られているバイプレーヤーです。本名はアンソニー・クレア。驚いたベルがクレアの身辺情報を集めるところから始まります。
☆ ご対面
クレアのアパートの守衛がベルをクレアと取り違えるほど2人は似ています。そのため、守衛はベルにクレア宛の郵便物を渡します。
実はベルが幻で、実在するのはクレア。ですが、ベルが身辺調査などを始めるので、観客は完全に監督のペースに乗せられてしまいます。詐欺だ!錯覚商法だ!
冒頭クレアは特権階級の人だけが入れるセックス・クラブでショーを鑑賞。そこから彼の頭の中の分裂に観客はつき合わされます。しかしその時は観客はまだ2人の男が出て来ると知らないので、このシーンが一体何を意味するのかはつかめません。
暫く話が進むとベルには恋人マリー、クレアには妊娠中の妻ヘレンがいることが分かって来ます。日常生活は授業をするベルの方だけ示され、クレアが俳優として仕事をしているシーンはありません。なので観客はクレアの方がベルが作り出した幻想だと思うことはできても、逆だという考えには至りません。
ベルがある日クレアに電話して見るのですが、クレアは家におらず、妻のヘレンが出ます。そうやって体は1つしか無いクレア/ベルが自分で自分に電話をかけられない点をするりとかわしています。観客にしてみればクレアの妻までがベルと気づかず、クレアだと信じ切っているシーンなのですが、無論本人で、精神状態だけが他人になっているので、声は全く同じ。
別な時、ベルがクレアと電話で話すシーンがあるのですが、そこは恐らく頭なの中だけで分裂しているのでしょう。その話の中で教師ベルが俳優クレアに、「自分たちはそっくりだ。1度会おう」と持ちかけます。
妊娠中の妻ヘレンは夫が浮気でもしているのかと疑い、相手側の夫と揉めているのかとかんぐります。夫のポケットからベルの連絡先を突き止め、仕事先に出向いて見ます。大学から出て来たベルに出会うヘレン。姿形は夫そっくりですが、大学で仕事をしているようで、話してみると、彼女の夫ではない様子。「な〜るほど」と夫の不審な行動の答を見つけたヘレン。
ベルとクレアもあるホテルでご対面。お互いにじろじろ眺め、「な〜るほど」と瓜二つな事に納得。ベルはその時守衛から受け取ったクレア宛の手紙をクレアに手渡します。ここはベル/クレアの頭の中だけで起きているのでしょう。何しろ体は1つしか無いのですから。
外見は穏やかなベルですが、一連の出来事に驚いており、念のために母親を訪ね、王子と乞食の物語のように、「生まれた時双子だったのでは」と聞いてみます。イザベラ・ロッセリーニのお母さんは「そんな事は無かったよ」と答えます。実際のロッセリーニはイングリット・バーグマンの娘で、バーグマンはロッセリーニの後に双子の娘を産んでいます。
所々に巨大な蜘蛛が出て来るのですが、それはデビッド・リンチ風に何かのシンボルに使われているようです。ちなみにロッセリーニは大物殺しの癖があり、巨匠と言われる監督(うち1人はリンチ)、個性派の俳優を仕留めています。
ヘレンとベルが出会った一方、クレアもベルのガールフレンドに興味を持ち、彼女と付き合ってみようと思い立ちます。クレアにはベルが自分の妻と関係を持ったのではないかという疑いも生じています。結果、2人は暫く立場を交換しようということになります。
全く職業の違う2人が入れ替わるのは不可能ですが、そこはフィクション。2人は大喜びではありませんが、この案を採用し、暫く入れ替わり、その後はそういう事は一切しないということで話がまとまります。ちなみに言い出したのはクレアで、渋々受け入れたのはベル
クレアに化けたベルがクレアのアパートに行くと、前に手紙を渡した守衛がそれとなく「またセックス・クラブに行くのか。でも入り口の鍵が無い」と知らせます。これが何を意味しているのかはその場では分かりにくいです。
女性の第六感でクレアの妻ヘレンは目の前にいるのがクレアではないと見抜きます。彼女は静かに目の前にいるのがベルだろうと言い、暫く留まるように言います。「ばれちゃった」ベルですが、眠れぬ夜を過ごすだけで、それ以上の事は起きません。割と落ち着いているヘレン、いたずらが過ぎたと戸惑うベル。
ベルに化けたクレアの方はあっという間にベルの恋人マリーに偽者だと見破られてしまいます。ヘレンのように心の準備をする機会が無く、いきなり見知らぬ男が目の前にいると気づいたマリーは激怒。
この作品は所々にプロットの穴があるのですが、マリーが気づいたのはベルのはずの男の指に結婚指輪の痕跡があったため。長く身につけている指輪の痕はそう簡単に消えるものではありません。私は冬頃から仕事で片方の手を集中的に使う事になったので、指輪を反対の手に移しましたが、痕跡は未だに残っています。この先まだ半年は残ると思います。つまり、クレアに指輪の痕があり、ベルに無いというのは与太話。どちらかが指輪を身につけているのなら、もう1人にも指輪の痕が残るはず。なにしろ2人は同一人物なのですから。
ばれちゃったクレアとかんかんのマリーは車で現在ベルがいるクレアのアパートに向かいます。アパートではベルとヘレンがルンルン。4人がご対面となると、数学的には3人なので、どうなるのかと期待を膨らませて待っていた私は、次のシーンで失望のどん底へ。
クレア、マリー組は交通事故を起こして昇天してしまうのですよ。ぎりぎりで逃げた!ずるい!いんちき商法だ!
これで頭の中では4人だったのが、2人になってしまいます。消えたのはクレアとマリーなので、残ったのはベルとヘレン。新しい恋人誕生。ベルは実在していなかったのですが、マリーも架空だったのかの説明が足りない。上げ底商法だ!
事故の事は何一つ知らない様子の2人。ベルはクレア宛の手紙をポケットで見つけ、開けて見ます。中に入っていたのはセックス・クラブの入り口の鍵。で、ベルはそこへ出向いて見ます。これで冒頭と最後がドッキングし、精神的にはクレアがベルに入れ替わっています。
★ 何じゃ、これは
「で、監督さん、何が言いたかったの?」というのが残された印象。悪いのは無論監督でなく、原作を書いた小説家ですが。
現実的には2人の人間の体が無事残っているので、交通事故は起きておらず、クレアとマリーの死体は無いわけです。なので警察とのトラブルとかは起きません。
体はクレアしか存在していないのだとすれば、クレアの職場ではクレアとそっくりのベルが出勤して来るので、問題は起きません。で、収入もあるので、ヘレンも子供を抱えて困る事はありません。とは言うものの、「昨日まで大学の教授だった人間に、中堅である程度名を成した俳優の代わりが務まるの?」という突っ込みは入れたくなってしまうなあ。
さて、大学で仕事をしていたはずのベルはクレアの居場所に残ってしまうので、大学には穴が空きます。ヘレンがベルの職場の前で会っているので、ベルは大学の教師として機能していました。
ギレンホールが大学で講義をするシーンがあります。その中でギレンホールの演じているベルは、歴史の講義をするのですが、学生は全然理解しておらず、退屈し切っています。ところが彼の講義は実に分かり易く、歴史に疎い私にもすっと理解できました。私が外国語で聞いてこんなですから、ベルは本当は有能な教授です。そういう先生が明日からいなくなってしまう、実はベルの像はクレアの頭の中にしか存在しない・・・となると、2つのそれぞれ優秀な才能が1人の頭の中に存在していたという事になり、ちょっと現実味を欠きます。この若さで教授が務まるにはある程度頭が良くなければねえ。俳優もスターとは違うので、ある程度演技に対する洞察力が必要で、クレアはそれを持っていたはずだし・・・。
っとまあ、ロスト・ハイウェイに比べるとすっきりしない点がいくつか残るのですが、1番分からなかったのは、タイトル。誰が誰の敵なんだろう。そんなに対立している様子は無かったんだけれど。ギレンホールの静かな演技でそこが埋もれてしまったんだろうか。私が疲れていて、何か見落としたのだろうか。
監督は影響を受けた人物としてカブリックを挙げているそうです。私にはデビッド・リンチに見えてしまいますけれどね。
理解しにくい理由の1つはベルもクレアもそれほど自分の現在の立場に不満を感じているように描かれていない事です。もしかしたら不満を抱えているのかも知れませんが、監督の静かなトーンを駆使した演出、それに照準を合わせたギレンホールの演技で、2人共それぞれある程度満足しているように見えてしまうのです。どんな人間にも多少は不満があるでしょうが、その程度の事で、頭の中が2つに分裂してしまうほどのストレスには見えないのです。ま、追い詰められていたり異常な状況を話題にするより凝った話ではありますが。一応自分が自分の敵というオトシマイにしたかったようなのですが、私は説得力を感じませんでした。
妻の臨月が近づく頃、浮気をする夫が増えるのは事実ですが、この話のオチがそこだとすると、回り道し過ぎです。
クレアがベルになって妻の元に戻って来るという事を「夫が心を入れ替えたと見なさい」という事なのでしょうか。そういう押し付けがましい印象は受けませんでしたが。
結論を言うと、私の理解力不足で、見終わって残ったのはいくつかの疑問符。
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